2008.08.27 AM09:01 (Wed)
昨日に引き続き・・・
去年春から今年の6月まで約1年という期間を経て、愛知県刈谷市にある空調設備を主とする大建工業株式会社のCI(コーポレート・アイデンティティ)の開発から構築を行った。
詳しくは、いずれコーポレート・サイトで事例として取り上げるつもりなので、そちらを・・・
出来上がったものがこちら。

しかし、本当の意味でCIを構築、そして運用していくという事は、ただこの(上の)シンボル・ロゴなどシグネチャを飾って終わりではなく、それは開発段階に関してもそうだ。各種シグネチャを作る仕事ではない。ある意味、CI開発をすること自体相当なCIを築き上げられる。
上のシグネチャもそうだが、なるべくしてなったものだ。
開発第一フェーズとして、大建工業の売り物は何か?それをどうアピールする?があった。
導きだした答えは各々の「まっすぐ」を売る。
・・・これを語らしたら、selfish.few様の言葉の嵐が最も適切な説明になる(笑
いくら企業という母体が在ろうとも、それを築いているのは社員ひとりひとりであり、それなくして企業は成り立たない。当然のことだ。
最終的に、その母体として各々の「まっすぐさ」を受け止め、その各々をアピールする。という結論から「まっすぐカンパニー」というキャッチフレーズが生まれた。
そこからは、その内部的アイデンティティの集合体をコーポレートなアイデンティティに置き換えていく。ここからはいわゆるアイデンティティを対外的な形へとデザインしていくことになる。
さて、本題だが果たして(CI開発業務という括りを一旦無しにして)、これはデザイン業務でしょうか?コピーライティング業務でしょうか?
両方とも違う。
確かに「まっすぐ」というフレーズ。上のシグネチャ等々。僕が作った(作業として)には間違いないが、僕は作ってないとも言える。
変な捉え方だが、もっとも適切な答えは見付けただ。
今回の依頼の約半分は社員と会話をし、そこから各々を感じることだった。
僕は会話の隅に参加したり、僕の会話に各々が耳を傾けたり・・・
残りの半分は上記した通りアイデンティティを対外的な形へとデザインしていくこと。
本当にデザインしたのかな?疑問は残る。
社員全員との会話の中からすでに頭では描き終わってた。
見付けれたからだ。
2008.08.26 PM10:28 (Tue)
書いてある通りだが、CI(コーポレート・アイデンティティ)とまではいかなくとも、考えてないわけではなく、社名そのものがそれを包括している。
だが、今の現状でこの社名の真意を明かす事は難しいな。
定款を決めるというのは(言っては申し訳ないかも知れませんが・・・)、実に退屈な時間でもあり、また納得すればそれで済んでしまう時間でもあった。
思うに、コンピューター云々の・・・とは実質そのコンピューター云々の・・・に向かっている時間は作業でしかなく、そこは売り物には100%成り得ない。それが売り物に成るのであれば、先人様が築いた資産を併用すれば済むことだし、それはキャロラインリクエストとしての業務というよりも、むしろその位は出来て当然。そんなもんだ。
ただ、当てはまることもある。
もうじき(だよね!?)、ここで明かすがGlue(グリュー)という自社資産を使った製品群を自社製品としてリリースしていく予定で、それに向かって今はデバック真っ最中。
Glueとは、そのインターネットを使った云々・・・の基礎となるべくフレームワークになり、そのフレームワークから拡張されるアプリケーション群は、当初インターネットというメディア上で何らかの動作(業務)を保証するアプリケーションになる。
例として、
1)Glueフレームワークを拡張した社内コンテンツを管理し、その活用方法の一つとしてのGlue CMSと呼ばれるWEB(インターネット)に特化したアプリケーション。
2)それをさらに拡張し、オンライン販売業務を運営するために特化したGlue CMS EC Build。
などなど・・・
よって、当てはまっているとは言える。
が、それは数年間本当に同じなのだろうか?
現時点でも疑問と同時に開発をしているし、現にGlueフレームワークを拡張するべきアプリケーションでインターネットを介さない(フロントエンドで)アプリケーションも考えている。例えば、カーナビであったり、冷蔵庫であたり、携帯電話や携帯ゲーム機だ。
それをひとまとめには出来ないから悩みの種が雑草のように生えてくる。
定款はそれでは許してくれない。定められた範囲内で定めなければならない。逆に言えば定款がゆるしてくれるようなものは別に先進的でもなんでもないということになる。
実に下らない。
別の話だが、ただ一つどうしても確定してしまう事は、キャロラインリクエストが提供していくサービスやら何やらは、生活に必ずしもそれがなくてはならないものではない。
だからこそだとは思うのだが、定款で定められるようなことしか見えない業務になるのは絶対に止めなければならない。
そこに立ち向かうかは別だが、実践して行くしかなく、きっと他の先進的なものは裏(定款)では何とも気色の悪い表現で置き換えられていたに違いない。
結論。
キャロラインリクエストは職人気質ではありえず、目利きよりも鼻利きな・・・そんな瞬時な機転が大事であり、ビジネスの本質よりもそれらの本質を明確にしていく事が、(個人的には)大事なのだと思う。
一昔、「何でもやります」と言う人は「結局何も出来ない人だ」と言われていた。
今はまったく別な時代。
現にマルチプレイヤーは存在する。
目利きよりも鼻利き・・・
2008.08.24 PM06:48 (Sun)
玄関のチャイムが鳴り、出てみるとなんとも幸薄そうなおばちゃんが立っていた。
おばちゃん:新築ですか?
名乗る前の一言。自分の家ならまだしも新築とはいえ貸家なのでどうでも良い一言でしかない。
僕:で?
おばちゃん:良いですねぇ〜新築。
おばちゃん:あっ、朝ご飯ですか?
僕:・・・
おばちゃん:(名刺を前に差し出し)表札とか作らないのですか?
僕:いずれね・・・
おばちゃん:興社と言いまして、姓名判定とかをやっています。伏見から伺ったのですが・・・
僕:ですが?
おばちゃん:表札とかいかがですか?
僕:・・・(ほぼ無視)
おばちゃん:姓名判定とかした事ありますか?
僕:無いけど・・・
おばちゃん:この機会に姓名判定とかしてみてはいかがですか?
僕:興味ない・・・
おばちゃん:・・・
僕:・・・
おばちゃん:何かのご縁ですので、またよろしくお願いします。
僕:ご縁はないよ・・・
さて、僕は一体何を売られたんだろう・・・
表札かな?
姓名判定かな?
はたまたご縁かな?
問題はそこではなく、(文句ではないが)知りもしない人がいきなり訪ねて来て、何を売りたいかもはっきりせず、しかも幸薄そう・・・商売が成り立つ理由が一つも見つからない。
だが、その後歩いている時に朝の事を思い出しボーっと考えてみた。
仮に姓名判定を受けたとします。
結果、烙印を押されたらどうすれば良い?
あなたの名前は良くない方向へと向かってます・・・だとか、
嫁の名前は、僕の姓を受けた事で運気が下がってます・・・だとか、
多分、そこから幸薄そうなおばちゃんと商売のお付き合いが始まるのかも知れませんが、これは仮にです。
ここで疑問です。
売りたかったものが表札であれば、わざわざ烙印を押さないだろうし(そもそも烙印を押さなければ成り立たない商売なのでは?)、売りたかったものが姓名判定だったなら、なぜ表札という言葉が出て来るんだ?後の事を考えて隠すべきだろう・・・
まぁ、そうでなくてもこの手のものにはまるっきり興味がない。しかも幸薄そうだ・・・
姓名判定もそうだが、占いだとか、宗教だとか、細木○子だとかまるっきりの興味の対象外だ。
この手のものに頼る人たちは、理由が欲しいのかな?言い訳が欲しいのかな?騙されたいのかな?
不思議で仕方ない。
以前、雑誌の星座占いのページを担当している方と仲良かったので、内情を結構聞かされた。
何が大変か・・・ここ数年の間に似たような記事があっては困るので、昔の違う雑誌から引用するのが大変だそうだ。記事を見つけるポイントは如何に他の雑誌が取り上げてなく、且つ数年間似たような記事が無いこと。
そりゃ大変だ・・・
そんな大変な思いをして記事になっているのでみなさん占いは信じましょう!!
きっと大事な時の言い訳に役立つ時がくるはずです。
2008.08.23 PM02:33 (Sat)



小谷美紗子さんの「真」の歌詞。
実は、この歌詞を知る前と知った後、(人生に対して)大きな変化があった。
ちょうど名古屋へ引っ越して来たころ、何故か犬山の山道で初めて聴き、知った。
そのときは、あっ、そうか。働かなくて良いんだ!!って思い、その後働く意欲を失うように努力してきたつもりだ(!?。
まぁ、そう長続きはしなかったが、頭の中ではいつも面倒くせぇがあった。
結局、働くのが嫌だ。というよりも人に左右されるのが嫌だ。という理由から経験したことも無いジャンルで独立し、そこそこはやったかな?
その頃は、もっと深く意味を解釈していたと思うが、その解釈に性格がプラスされた時、音を立てて崩れたものがあった。
ビジネス的な考えが、頭からまったく無くなったのを覚えている。
そこからは今に至る自分のアイデンティティが確立されていった時期だったと思う。
自分を騙したり・・・何かしらの理由の基に、何かをしていただけ・・・そんな時期。
約3年前、閃いたというのか、気づいたというのか・・・
それがキャロラインを始めるきっかけのひとつではある。
そんな今、もう一度耳を傾けてみた。
その感情というのか、なんというのか・・・
それが3枚の絵の間なんだな。
2008.08.20 AM09:08 (Wed)
人の行動(考動)にはナ形容詞接頭辞「無」が付くと思いもよらぬ結果を招くことがる。
最近、仕事から戻るとその「無」の塊との時間を過ごしている。
その最たる例が見るもの先ずは食ってみるだろう。
大人には考えられない行動だが、先ずはやってみるといった考動とはある意味同じなんだろう。違いは理性、知性みたいな〜性が働いているかどうかだ。
以前から良く思う事だが、最近の機器は壊すことすら出来ない。
そのかわり、なんらかの拍子で意図も簡単に壊れてしまう。
これは面白くない。
幼い頃の思い出に印象深い事があり、居間のテレビが映らなくなると(映らない=壊れたではない)、父親がテレビをバンッって叩くだけで、映りだす。ただ、寿命とかもあるんだろう・・・頻繁に映らなくなる。
そろそろ壊れてしまったか・・・
壊れやすいから弱いのではなく、壊れにくいから強いのだ。
人間と一緒だ。
ここまでくると流石の父親も根を上げ買い替えに走るのかと思えば、懲りずに電気屋のおっちゃんを連れてくる。本格的に修理になるかと思いきや・・・
バンッ!!
素人の父親とまるっきり同じ行動に出た・・・
結果は、見事映りだした。
まさに神の手だった。
そこにはいくつかの「無」が存在する。
・人様のテレビを思いっきり叩く - 無作法
・専門的技術のかけらもない - 無技術
などなど・・・
だが、(良い方向に)思いもよらぬ結果を招いてくれた。
ここまではハードウェアに対してだが、仕事上その殆どの時間、コンピューターというハードウェアで動くソフトウェアと向き合っている。
本来ソフトウェアとは「ソフト」であるべきで使い手の思考のもとに柔軟に対応してもらわなければ困る。
しかしどうだろう・・・膨大なプリセットの数々を見ると何でもできちゃいそうな気になり、それを柔軟性な一面と誤認識してしまっていることを良く見かける。
こうなるとソフトウェアを使って絵を描いているのか、描きたい絵をソフトウェアの出来る範囲内に委ねてしまっているのか、分からなくなってくる。
そこが壊すことのできない壊れやすいものの弱点だ。
配線ひとつ外してみな!!ソフトウェアは面白い動きをするぞっ!!・・・などありえない。そもそもそれのハードウェア自体立ち上がらない。
壊すことを体感してみるという事は非常に重要な事だ。
例えば、鉛筆削りはきれいにまるく鉛筆の先端を整えることが鉛筆削りというソフトウェアそのものの理由である。ただそれは一般常識の中、もしくはそのような鉛筆が欲しい人の理由でしかない。
コンピューターはあらゆる乱数を瞬時に計算し、それを提供してくれる。
果たしてその乱数が描いた点の集合は本当に無秩序なのか?答えはNO。
カオス理論が導きだした限りなく無秩序に近い法則でしかない。
刃そのものに傷をつけた鉛筆削りで削った鉛筆で、適当に線を描いてみる。
そこには必ず法則の成り立たない無秩序が存在する。
コンピューター上で動くソフトウェアに柔軟に壊れて下さい。とまでは思わないが、その反対に誰が欲しがっているかも分からないような機能の追加の度に、バージョンアップし、はたまた重くなり、分かりづらくなる・・・
そこには無駄という「無」が存在して止まない。
2008.08.19 PM08:07 (Tue)

【a lake soared up into the beautiful sky】
インクジェット 297mm x 420mm
美 空 ひ ば り
この5文字の並びは本当に素敵☆(ゴシック体は最悪だけど・・・)
別に彼女の歌がすきなわけじゃないのだがね・・・
是非、Tシャツにしたい♪
2008.08.19 PM08:02 (Tue)

【entropy】
インクジェット 297mm x 420mm
エントロピー【entropy】
《変化の意の (ギリシア)tropéから》
一、熱力学において物質の状態を表す量の一。等温可逆的な変化で、ある物質系が熱量を吸収したとき、エントロピーの増加は吸収熱量を温度で割った値に等しい。熱的に外部から孤立した系では、内部変化はつねにエントロピーが増す方向に起こる。1865年クラウジウスが導入。系の秩序に関連する度合いで、エントロピーが高くなることは乱雑さが増すことを示す。
二、情報理論で、ある情報が得られる確率をもとに、情報がどれだけ欠如しているかの状態を示す量。情報の不確定さの度合い。
[大辞泉]
このentropyにはここに書いてある思いを込めて・・・
2008.08.16 PM12:43 (Sat)
レビューが何だ!!
リリースされるものにはレビューが付きまとい、レビューされたものには闘争心(もしくは羞恥心)のない会話が付きまとい、リリースされたモノ/コトの意義など別次元に繰り返される。
本心だが、言い過ぎだね・・・
レビューには無関心。
断っておくが「レビューが嫌い」なわけではない。
無関心・・・
だが最近、一番身近なメディアがインターネットになり、PCに設定されるホームページは大抵どこかのポータルサイトだ。自分も例外ではなく、iGoogleがホームページとして設定されており、そこにはいくつもの何かしらのレビューが馬鹿みたいに詰まっている。
メディアとは使うもので、使われるものではない。
世の中に何が起きているかだけでも知るためにも、レビューのそのヘッダ情報だけは知っておこう・・・と、iGoogleを活用している。
ただ、そのヘッダ情報からリンクを辿る事はよっぽどの事がない限りあり得ない。よって会話の中に出てくる事もあり得ない。
例えばだ。
「浜崎あゆみを下着姿にした"脱がせ屋"の正体」
こんなレビューがあったならば、殆どの人は「浜崎あゆみ」についてで、しかも敵対心もしくはマイナス方向へと駆り立てるような話題が繰り返され、脱がせ屋の話題など出てくるのかな?
芸能人という個性はどのような話題であれ取り上げられる事が大事な場合もある。ヘアヌードが最たる例だ。
だからレビューが盛り上がる。
このレビューはヘアヌードでこそないが、マイナス方向へ駆り立てる動機を十二分に持ったレビューだ。
余程の浜崎あゆみファンで無い限り、脱がせ屋がどうでも(誰でも)構わず、話題に対して怒りうる可能性もある。
反対に浜崎あゆみのファンで無ければ浜崎あゆみの真意などどうでも良く、ただの盛り上げツールであれば良い。
だからレビューには無関心なんだ。
反対の立場で、レビューされることにも無関心だ。
レビュワーの思惑でしか付き合いの成立しない関係など、いたってどうでも良い。
レビューにも有益なレビューもあれば、知人もしくは他人との会話にも無益な情報もある。
さらにレビュー自体が一人歩きすることもある。
さらに知人もしくは他人はわざと嘘をつくこともある。
さて、宮崎駿監督の最新アニメ「崖の上のポニョ」。
散々なレビューをされているみたいだが、やはりそれはそれでしかない。
誰が観に行くの?
きっと自分が観る。
ならば、自分がどのような姿勢でそれを観たいのか・・・
自分が何のためにそれを観たいのか・・・
いくつかのレビューに書いてある通りだっとしても、それはそれだ。意識レベルが違う。
そんなわけで、闘争心いっぱいで「崖の上のポニョ」を観に行きたい。
2008.08.09 PM12:25 (Sat)
先出してしまったが・・・
1日1アプリの日
1日1善みたく、1日にひとつ良い事をしよう!!的発想で、1日にひとつアプリケーションを作ろう!!
そんな目論み。
まだ開催したわけではないが是非、月1ペースで開催したい。
1日という限られた時間の中で、発案〜開発・動作検証、までやらなければならないので、現在の自分の能力をきちんと認識していないと、事半ばで終わってしまう事になる。が、事半ばで終わってしまったという事実を受け入れるのも大事なこと。
この目論みの意義は、アプリケーションを開発しきったという事実に対してではなく、能力や技術、趣向と感性などの再認識をすることにある。
出来るだけの自分本位で作ろう!!
無駄なアプリケーション、時流に合わないアプリケーション、誰も好まないアプリケーション・・・
そのアプリケーションによって誰かしらを不幸にする可能性を持つアプリケーション以外なんでも良い。
ひとつ、前回(それ以前)の開発を引き継ぐことは禁止!!
(更新
ちょうど、このエントリーを書いた後、SOL@キャロラインとの同意で毎月第一土曜日を1日1アプリの日に決定しました。
1日1アプリの日第1回目は9月6日です。
さて、何が出来るのやら・・・
2008.08.07 PM03:32 (Thu)
2008.08.04 PM08:36 (Mon)
ん・・・?
お昼ご飯といえば・・・お昼ご飯ちゃん(ごく少数の人しか意味わからないな・・・)
SOL@キャロラインと、日々のお昼ご飯を出来るだけ自炊してみる事にした。
ここは事務所であり、お仕事をする場所で、何を優先すべきかはやはりお仕事の状況でしかない事も理解している。
が、(出来る限り)自炊する事にした。
いやぁ〜料理もクリエイティブですよ〜的な意味はまったく無い(間違っては無いのだが・・・)。
もちろん、時にクリエイティブに料理する事もあるだろうが・・・
単純に視点の変化を体感し、それを知る事への体験のひとつ。
休憩時間に雑誌を片手にタバコを吸うのと同等。
和食はアートだ!!とは、良く言ったものだ。
そこまで考えると、それこそ作業どころの話ではなくなってしまうが・・・
例えばピーマンひとつ。出来上がった緑と、作っていく過程での変化していく緑を知る事が何に繋がるかを知る。また何に繋げられるかを考えるきっかけにする。
それもまた創作の術のひとつにもなるでしょう。

見事に紫な作業環境
2008.08.01 AM12:00 (Fri)
数年前、個人的な創作活動の(意識)空間として始めたキャロラインリクエスト(由来は、以前に別名で主に映像分野で活動していた頃の短編フィルムのタイトルから名付けた)。
今月より新たに株式会社キャロラインリクエストとして再始動する事となった。
一端の社会人だ。
もちろん、今までの活動も成果に対する報酬を頂いていた事には間違いはないので、ある意味、社会人でもあった。
大きな違いは私生活を除いて、守る何かが無かった。
今後、創作に没頭する立場と創作に没頭するだけでは駄目な立場との両立をしなければならない。
創作に没頭する立場としての自分は自分でしかないわけで変えようもない。
創作に没頭するだけでは駄目な立場としての自分は何をするべきなのだろうか???
そこに、これから社会人としての責任があるはずだ。
(もともとの知人、もしくは以前からブログを読んで頂いてた方は知っているかと思うが、)現在の教育に不信感と不安感を思いっきり抱いている。
一体何を教育しているのだろうか・・・
いつまで1+1は2です。みたいな周知の事実を教育しているのだろうか・・・
もちろん教育環境だけが悪いとは思わない。
誰が1+1は2以外の答えを言う子供たちに不安を抱くのか・・・相当数はその親だろう。
1+1が2なのは周知の事実なのは間違いのない事だが、1+1が2以外の考えが何かを産むかも知れない・・・そのアイデンティティを育む事に程遠い教育への不信感と不安感がある。
もっと言えばその親の納得するための体裁的な教育方針が不信感と不安感の固まりでしかない。
特に小学校、中学校。結果将来への方向性への専門的な知識以外を教育しなければならないのだが、そこでアイデンティティが育まれなければ、その後アイデンティティを考え、伸ばす事が出来るのは、目標を定めた後の努力しかない。
でもそれは理由にならず、目標を持ったのであれば、いかなる事でも自己責任でやっていくべき。今までの教育から成り立った自己との葛藤もあって然りだ。
ここでアイデンティティとは何ぞや・・・を説くつもりは無いが、アイデンティティとは知識に対する知識とその理解という解釈もでき、知識をどのように知って、どのように理解しているかといった知識。それが自己であり、信じる方向へと繋がる信念に成り得る。
特にマニュアルを確率する事の難しいこの業界。
今後、高校、専門学校もしくは大学を卒業してここに来る人もあるだろう。そこに今の立場としての責任がある(そう決めた!!)。
フォーカスのその外側を描け!!
簡単な事ではないが、実に簡単だ。
惑わされるな。それだけでもあり、惑わされてしまえば良いだけでもある。そこにその知識への理解があれば・・・そのフォーカスは自分のものになっている。
追伸:
現在は法人登記中で、正式には9月3日より正式な法人となります。
6@キャロラインリクエスト。1974年東京生まれ。
学業はあまり・・・
2006年よりキャロラインリクエストとしてモノづくりを続け、2008年9月、selfish.few@キャロラインこと村田氏と株式会社キャロラインリクエスト設立。